名島門
三の丸の西側で母里太兵衛邸長屋門のそばに位置します。
門を入ると城内西広場の芝生が広がっています。
この門は天正15年(1587)筑前国主となった小早川隆景によって多々良川口の名島(現・福岡市博多区名島) に築かれた名島城の脇門です。
慶長年間(1596~1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移す際、黒田二十四騎の1人である林掃部(はやしかもん)に下げ渡され、邸宅の門として使用されてきました。
明治の中ごろに長崎に移築されそうになりましたが、当時の代議士によって買い戻され、戦後現在の場所に移されました。
名島城とは福岡城以前に、豊臣系大名の拠点になっていた城で、この名島門は「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。
<市指定文化財>
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